碑の背景
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1945年3月10日午前0時15分に空襲警報が発令された。 その後2時間30分にわたって東京の下町に対して波状的に焼夷弾による絨毯爆撃が行われた。 折からの強風により火勢は勢いを増し、江東・墨田・台東の住民は火の壁に遮られ逃げ場を失い、火の波に呑込まれた。 この空襲により10万人強の一般市民が亡くなった。 小名木川駅に於いては、碑文にもある様に当日勤務されていた方の半数が亡くなった。 
第二次大戦(太平洋戦争)による空襲では鉄道関連施設なども多数、被災し、多くの慰霊碑が建立されている。 

写  真
基本情報


所 在 地 : 江東区北砂2−17
        小名木川駅前交差点
MapCode : 654587*83
建 立 日 : 1962年 3月10日
建 立 者 : JNR
種   別  : 慰霊碑
撮 影 日 : 2010年11月28日

碑  文 時 太平洋戦争も闌 昭和二十年三月十日未明米国重爆撃機B二十九型百数十機の大空襲により江東地帯は壊滅的被害を受け特に当駅は五百数十両の貨車 数千屯の貨物と共に駅施設は烏有に帰す この日勤務者二十四名中実に十二名が壮烈その職に殉ず
又昭和四年 開業以来職に殉せし者四名を数う ここに十六名の霊を慰むべく駅員の総意により広く国鉄部内外の協力を得て本碑を建立す
         昭和三十九年三月十日

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