下山国鉄総裁追憶碑
碑の背景
コメント
1949年7月5日、初代国鉄総裁の下山貞則は午前8時20分頃迎えの公用車で出勤した。 途中、銀行等により、9時37分頃、日本橋三越で車を降りた後、消息が途絶えた。 翌日の午前0時30分頃、この碑がある北千住〜綾瀬間において汽車に轢かれた下山総裁の遺体が発見された。 下山総裁は0時20分頃現場を通過した貨物列車(D51651が牽引)により、轢断された事が判明したが、検視の結果、遺体から生活反応が見られなかった事から、列車に轢かれた時に総裁が生きていたか、死んでいたかが問題となった。 警察からは公式の捜査結果が発表されないままに捜査が打ち切られた。
当時は高インフレにあえぐ経済の立て直しのために緊縮財政がとられ、6月には行政機関職員定員法が施行された。 これにより国鉄に対し10万人近い人員削減が求められていた。 また、7月15日には三鷹事件、8月17日には松川事件が発生している。

写  真
基本情報


所 在 地 : 足立区西綾瀬一丁目
MapCode : 3023817*43
建 立 日 : 1998年10月10日
建 立 者 : −−−
種   別  : 事件碑
撮 影 日 : 2010年 6月18日

副碑碑文    下山国鉄総裁追憶碑
昭和24年7月 下山事件発生
昭和26年7月 下山定則氏記念事業会により、記念碑を事件現場付近に建立
昭和45年9月 千代田線建設工事に伴う移設の際、加賀山元国鉄総裁の揮毫となる、
          本石碑に取り替え
平成 3年5月 常磐線荒川橋りょう改良工事に伴い、本位置に移設

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