立川基地引込線跡
(廃線跡モニュメント)

碑の背景
コメント
 立川基地引込線跡に関する碑は下記の様に昭島市の中神駅から立川市の泉町西公園にかけて3か所にある。 立川基地は1922年(大正11年)に陸軍航空部隊の中核拠点として開設された。 第二次大戦の頃には陸軍航空部隊の研究・開発・製造の一大拠点として重要な位置を占めていた。 この基地に資材などを運搬する為に設けられたのがこの引込線である。 立川基地は戦後、アメリカ軍に接収され、米軍基地として使用されていたが、1977年に全面返還された。 立川基地の跡地は昭和記念公園などになったが、昭島市から立川地にまたがる部分に関しては、昭島市のむさしの公園、立川市の泉西公園となった。 基地への引込線はむさしの公園・泉西公園の境界付近が終点になっていた。 
 この路線の跡地は「中神引込線通り」として道路に転用されている。 最初の碑は基地跡地が再開発される前に建てられたもので、道路の横に分岐器などが置かれている。 二番目・三番目のものは再開発でできた公園にあるものである。 
  
写  真
基本情報
所 在 地 : 昭島市中神町1359
MapCode : 5 151 749*85
建 立 日 : 2000年
建 立 者 : 昭島市
種   別  : 跡地碑
撮 影 日 : 2021年12月 9日


碑文  この道路は、青梅線中神駅から敷設されていた貨物専用線の引込線廃線跡で、ここから北は2路線に分岐していました。 引込線は、この地域の歴史を物語るように工廠線、あるいは立川引込線とも呼ばれました。
 引込線が敷設されたのは昭和18年(1943年)といわれ、陸軍唯一の飛行機製造部門として昭和15年(1940年)4月1日に設置された航空工廠への資材運搬由路線でした。
 昭和20年(1945年)太平洋戦争が終わると航空工廠を含む立川飛行場一帯はアメリカ軍に接収され、立川基地となりました。 工廠線は、そのままアメリカ軍専用線(1.9Km)として使用され、主に航空機燃料や重油が運ばれました。
 
写  真
基本情報
所 在 地 : 昭島市もくせいの杜2−3
MapCode : 5 151 399*44
建 立 日 : 2017年 3月
建 立 者 : 昭島市
種   別  : 跡地碑
撮 影 日 : 2021年12月 9日


碑文 廃線跡モニュメントんついて
この廃線跡モニュメントは、当地区で実施した立川基地跡地昭島地区土地区画整理事業(施工者 : 独立行政法人都市再生機構)で整備した「昭島市立むさしの公演」の休憩施設として設置したものです。
この施設は、太平洋戦争中の昭和18年(1943年)に敷設されたとされる青梅線中神駅からの資材運搬専用線跡が土地区画整理事業着手時に残存していたため、土地の記憶や歴史を継承する目的で当時の敷設位置にレールやバラスト等を再利用しモニュメントとしたものです。
このほか、むさしの公園内には、舗装モニュメントとして当時の軌道上にレールを一部残しています。
   
写  真
基本情報

所 在 地 : 立川市泉町
MapCode : 5 151 746*03
建 立 日 : 2017年 3月
建 立 者 : 立川市
種   別  : 跡地碑
撮 影 日 : 2021年12月 9日


碑文 「廃線跡モニュメント」
 この廃線跡モニュメントは、当地区で実施した「立川基地跡地昭島地区土地区画整理事業(施工者:独立行政法人都市再生機構)」で整備した公園施設です。
 このモニュメントは、昭和18年に敷設されたとする貨物専用線の引込線跡が地区内に残っていたこいとから土地の記憶や歴史を継承する木瀧で、当時のレールを再利用して設置したものです。 
 当時、引込線は青梅線中神駅から一級河川残掘川の西側まで敷設されており、本公園を含む地区内の3つの公園をひとつに結ぶ象徴として各公園に同様の施設を設置しています。



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