三河島事故慰霊碑
碑の背景
コメント
1962年5月3日21時37分頃、田端操車場発水戸行きの貨物列車が三河島駅構内で貨物線から本線に入る際、停止信号を見逃し、安全側線に進入・脱線し下り本線を支障してしまった。 そこに上野発取手行き電車が衝突し、先頭と2両目の車両が脱線し上り本線上に飛び出してしまった。 下り電車の乗客は線路上を歩いて避難中に上り電車が進入し、多くの人をはねた上に上り線を支障していた電車と衝突をした。 この事故により160名の方が亡くなり296名の方が負傷する大惨事となった。 この事故を契機に国鉄全線に対しATSの設置を前倒しで行う事となり1966年には整備が完了した。 
写  真
基本情報


所 在 地 : 荒川区荒川3−53−1
           浄正寺
MapCode : 828808*81
建 立 日 : 1963年 5月 3日
建 立 者 : 三河島事故遺族連合会
種   別  : 慰霊碑
撮 影 日 : 2008年 6月18日



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