旧国領駅跡
碑の背景
コメント
現在、京王線の仙川〜調布間は甲州街道の南側を甲州街道とほぼ平行に走っている。 この路線になったのは1927年からでそれまでは仙川の先から甲州街道に出て金子駅(現在はつつじケ丘)は甲州街道上、次の柴崎と国領は甲州街道の北側に駅を置き、其の先で再度甲州街道を渡って布田・調布となっていた。 この旧調布駅跡の碑は甲州街道の八雲台2丁目交差点から80mほど北に入った場所にあるが、周辺は住宅街で以前、京王線が走っていたことを想像することも難しかった。 

写  真
基本情報


所 在 地 : 調布市八雲台2−2−11
MapCode : 2862006*25
建 立 日 : 1992年2月3日
建 立 者 : 調布市教育委員会
種   別  : 跡地碑
撮 影 日 : 2005年 1月 7日


碑右側 ここは、京王線が大正二年四月十五日、笹塚・調布市間で運転を開始したとき、地元民の用地提供によって設置された停留所の跡地である。
 当時の京王線は、仙川駅西方から現在の滝坂に沿って坂を下り、甲州街道の路面を通り、西つつじケ丘三丁目西端で甲州街道の北側に入り、当地を経由、国領一丁目西で甲州街道を横切り、調布駅の東側で現路線に接続していた。
 その後、昭和二年十二月、滝坂の急坂と道路併用を改良するため、甲州街道の南側に路線が移設されたのに伴い廃止された。

碑左側 此の停留所名は一時「北浦」であったといわれている。 会社は当初「国領」としたが、地元の強い要望によって字名の「北浦」と変更した模様である。 そのいつ「国領」と改めたのかは明確でないが、大正六年の初めごろ、ここと「調布」との間に「布田」(常性寺前)を新設し、またいくつかの停留所名を改称したのと時を同じくして改められたと思われる。
 したがって、「北浦」は極めて短期間の停留所名であったと推測されている。


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