小名木川駅の歴史
碑の背景
コメント
小名木川駅は総武線貨物支線(越中島支線)が新小岩−小名木川間で開業した際に貨物専用駅として1929年に開業した。 この線は1958年に越中島(現越中島貨物駅)まで伸延された。 小名木川駅は駅の横には小名木川があり、この川を利用した水陸の物流連絡拠点としての機能も果たした。 平成になり、貨物の取扱量が減少した事により2000年3月11日の貨物列車の設定は無くなり、業務は隅田川駅に移管された。 2000年12月2日に廃駅となり、構内にあったコンテナホーム、コンテナ荷役線、有蓋車用貨物ホーム等は撤去され、一部の退避線が残されているだけである。 この退避線は越中島貨物駅の構内として扱われている。 また、構内の跡地はショッピングセンター「アリオ北砂」が出来ている。 
小名木川駅の入口にあった環状8号線の交差点名は現在も「小名木川駅前」となっている。
写  真
 
基本情報
 所  在  地 : 江東区北砂2−9
            北砂二丁目公園
 マップコード : 654104*65
 建  立  日 : −−−
 建  立  者 : −−−
 種      別 : 跡地碑
 撮  影  日 : 2010年11月28日

碑  文  江東地区の工業地帯の輸送需要の増加に対応するため昭和4年3月20日、小名木川河畔14,000平方メートルのドッグを備えた水陸連絡貨物専用駅として、小名木川駅が開業した。
 初め貨物取扱量50万トンの規模だったが、第2次大戦中の昭和18年(1943)には130万屯の貨物取扱量を記録。
 戦後は東京湾の拡張整備によって、取扱量は急上昇。豊洲ふ頭が完成した昭和30年には146万トンを記録、2年後には初めて200万トンを超えた。 その後小名木川駅がが管理する駅員のいない貨物駅として越中島駅も開業した。 両国、錦糸町、亀戸の3駅の貨物取り扱いを廃止、小名木川に貨物部門を集約。 駅も290万トンの取扱量をこなせるよう改良された。
 しかし、大工場の郊外への移転、輸送形態の変化、エネルギー資源の石炭から石油への行など原因で輸送量は減り、61年度は越中島の取扱量を加えても全盛期の4分の1の74万トンとなった。
 当時の小名木川駅の面積は、東京ドーム球場の2倍以上の10万8千平方メートル。
「園内の車輪は当時の貨物線で実際に使用されていたものである。」
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