動輪の由来
碑の背景
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池袋駅西口メトロポリタンプラザの入口にこの碑はあり、かってこの地に東京鉄道教習所があったことを示している。 1909年(明治42年)麹町区山下町に鉄道院職員中央教習所が開設された。 この施設は1924年に池袋成蹊学園跡であるこの地に移転してきた。 1952年には三島鉄道教習所と合わせて中央鉄道教習所となったが、翌年には施設の本部が国分寺に移転され、この地は1954年に閉鎖となった。 中央鉄道教習所は1958年に名称を中央鉄道学園と改めたが、1987年の国鉄分割民営化によりその役目を終え閉鎖された。 国分寺の跡地には中央鉄道学園跡の碑がある。

写  真
基本情報


所 在 地 : 豊島区西池袋1-11-1
       メトロポリタン プラザ
MapCode : 820135*55
建 立 日 : −−−
建 立 者 : −−−
種   別  : 跡地碑
撮 影 日 : 2005年 1月 7日


碑  文       動輪の由来
ここはかって東京鉄道教習所があり、広大な敷地に校舎、大講堂、図書館、プール、寄宿舎など立派な施設が完備され、多数の鉄道マンが勉学にいそしんだ場所である。
当時の所在地   東京府北豊玉郡西巣鴨町字池袋
敷地及び建物   約37000平方米の校舎、大講堂、寄宿舎など約100棟の建物があった。
存在した時期    大正13年(1924年)〜昭和29年(1954年)
またこの地は鉄道開通50周年記念事業の一環として設立認可された財団法人鉄道育英会により設立した東京鐡道中学が東京鉄道教習所内に開校し、後に東京育英中学、東京育英中学校、東京育英高等学校、芝浦工業大学高等学校と改称し、昭和57年まで存在していた場所でもある。
存在した時期   大正13年(1924年)〜昭和57年(1982年)
これらの施設は昭和20年4月14日の東京大空襲で一旦焼失した。
なお、この地は成蹊学園発祥の地でもあり、若者と教育に由緒深い土地柄である。

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