一之江境川親水公園地誌 城東電車
碑の背景
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1910年5月に錦糸町〜上今井間の電気軌道敷設が出願され、翌年に免許が交付された。 この免許を基に1913年1月に城東電気軌道株式会社が創立した。 この会社は小松川・砂町方面の足として碑文に有る様に路線を拡げたが、1942年には東京市に買収され市電となった。 一之江親水公園がある辺りは1952年に無軌條電車(トロリーバス)に変換されたが、それも1968年に廃止となった。

写  真
基本情報


所 在 地 : 江戸川区一之江6丁目
          一之江境川親水公園
MapCode : 6360500*62
建 立 日 : −−−
建 立 者 : −−−
種   別  : 跡地碑
撮 影 日 : 2010年11月28日


碑  文    一之江親水公園地誌  城東電車  (左奥の石に埋め込まれた碑)
 城東電車は私営の路面電車で、明治44年(1911)3月、当時の本所区錦糸町と瑞江村大字紙今井の間に敷設の許可がおり、大正6年(1917)12月に金糸掘−小松川間が開通、大正10年1月には水神森−大島間が開通しました。 そして、大正14年12月に東荒川−今井橋間が開通し、翌大正15年3月には小松川から西荒川までが延長されて、東荒川との間には連絡バスがはしりました。
 昭和17年(1942)に東京市の市電となり、翌年の都制施行によって都電とよばれましたが、昭和27年に東荒川−今井橋間は廃止され、上野公園−今井間を走った都内初のトロリーバスにかわりました。
 この路線は、昭和43年から都バス路線として今も運行されています。
          平成8年4月   江戸川区

   城東電車とトロリーバス   (手前右の解説文)
 城東電車は大正2年に創立し、江戸川線は大正14年に東荒川〜今井間で開通しました。 車両が一両で「マッチ箱電車」と呼ばれたり、発車合図のベルの音から「チンチン電車」と呼ばれ、昭和27年まで運行していました。
 城東電車廃止の翌日より、無軌軸電車(トロリーバス)が走り、昭和43年までの約17年間運行されていました。 トロリーバスはレールのない電車で、屋根についた集電装置で架線から電力を得て走っていました。
  (注:解説文では無軌軸電車となっているがこれは無軌条電車の誤り)

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