堀之内橋の由来
碑の背景
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池袋駅東口に出て駅前のバス通りを左手に行くと首都高速が通っている。 この下を通ってさらに行くと、橋があり、その下を複々線の鉄道が走っている。 下を走る線は山手線で、この橋は堀之内橋と云う。 橋を渡り切ると橋の由来を書いた碑がある。 この橋の高欄部分には山手線を走っていた103系電車やD51のレリーフが飾られている。

写  真
基本情報


所 在 地 : 豊島区上池袋2−1
         堀之内橋
MapCode : 821675*38
建 立 日 : 2001年 3月
建 立 者 : 豊島区
種   別  : その他の碑
撮 影 日 : 2008年 7月11日


碑  文  江戸時代の頃、この橋のあたりは新田堀之内村という畑作中心の小さな農村でした。 明治に入ると巣鴨村に編入され、文明開化の波が押し寄せるに連れ、新しい交通機関として鉄道の建設が進みました。 明治18年に山手線が品川〜赤羽間、同36年に池袋〜田端間が開通し、村も大きく様変わりを始めました。
 大正7年に、町制の施行により西巣鴨町となり、「大字新田堀之内」は「堀之内」と改称されました。 大正12年の関東大震災以降、多くの人が移り住み、急速に市街化が進んだのもこの頃です。
 昭和を迎えるとすぐに明治通りの整備が始まり、山手線をまたぐために架けられた橋が地名にちなんで「堀之内橋」と命名されました。 昭和7年10月1日に、東京市域拡張により豊島区が誕生し、この地域が「堀之内町」となりました。
 その後、「堀之内町」の地名はなくなり、現在、「堀之内」は、橋や踏切の名として、わずかに残っているだけとなっています。

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