浜離宮前踏切
碑の背景
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23ヘクタールの広さを持つ築地卸売市場は、関東大震災で破壊された日本橋魚河岸等の市場群の代替施設として、隅田川からの水運、汐留駅からの陸運の便に恵まれていた海軍省所有地に臨時の東京市設魚市場を開設したのが始まりである。 1935年に現在地に東京中央卸売市場が開設された。 航空写真で東京中央卸売市場の建物を見ると円弧を描いているが、これは汐留から伸びたレールが建物に添って配置され、下関などからの冷凍車で編成された列車が市場に直接乗り入れていた為である。 浜離宮前踏切は汐留から東京中央卸売市場への線路上に有った踏切である。 この路線は1987年1月末に廃止された。


写  真
基本情報


所 在 地 : 中央区銀座8−20
MapCode : 587330*76
建 立 日 : 1987年12月
建 立 者 : −−−
種   別  : 跡地碑
撮 影 日 : 2010年 6月 4日


碑  文            浜離宮前踏切 説明
                  所在地  中央区銀座八丁目21番1号先
 この信号機は、昭和6年(1931)から昭和62年(1987)1月31日までの56年間、国鉄汐留駅と東京都中央卸売市場築地市場との間を貨物引込線の踏切用として使用されました。
 最盛期には、1日150輌に達する貨物車が通過しましたが、貨物輸送の変化に伴い、汐留駅廃止と共に引込線も撤去されることになりました。 しかしながら、地元民の要望により、銀座には珍しい鉄道踏切信号機として、保存されることになりました。
                       昭和62年(1987)12月
           保存理由
 元この高速道路の下には汐留川が流れ、鉄橋も架っていました。
 汐留駅は、わが国の鉄道開業当時における始発駅の新橋駅でしたが、大正3年(1914)東京駅が中央駅になると、ここは貨物駅になりました。 大震災後、築地に東京市中央卸売市場が完成すると、汐留駅と市場間に荷物運搬のための線路がしかれ、大きな働きをしたのです。
 都民の暮らしの台所を支えて来たこの信号機を、国鉄廃止に当り捨て去られるのにしのびず、東京都中央卸売市場築地市場、東京都第一建設事務所並びに中央区教育委員会、地元各位の多大なご協力に依り、ここに永久保存されることになりました。
          昭和62年(1987)12月
                              銀座御門通り会
                              銀座金春通り会

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