鉄道連隊演習線跡
碑の背景
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 日清戦争後、中国大陸などの占領地に向け円滑に軍用資材の補給を行うために1896年、鉄道大隊が編成され、1907年には鉄道連隊に昇格した。 鉄道連隊演習線は線路の敷設・修理・運転など訓練の為の路線で千葉県の津田沼を中心に習志野線:津田沼−千葉16.7km、松戸線:津田沼−松戸26.5km、下志津線:作草部−四街道7kmが設けられていた。 
 これらの路線は戦後、民間に払い下げられ、松戸線の一部は新京成線となった。
 鉄道連隊は碑文にもある様に千葉市と津田沼町に部隊があったことから、路線跡以外にも多数の遺跡が残されている。

写  真
基本情報


所 在 地 : 習志野市大久保1−5
MapCode : 6350869*81
建 立 日 : 2008年 3月
建 立 者 : 習志野市教育委員会
種   別  : 跡地碑
撮 影 日 : 2016年11月23日


碑  文  この地は、鉄道連隊の演習線が走っていたところです。
 明治四〇年(1907)、東京中野にあった鉄道大隊は鉄道連隊に昇格し、千葉市と津田沼町に転営しました。 この前年、津田沼〜習志野間に軽便鉄道が敷設されました。 日露戦争時に購入した鉄道資材を習志野の捕虜収容所跡に保管するためでした。 この資材をさらに千葉の鉄道連隊材料廠に移転するため、明治四一〜四二年、習志野〜千葉間に軽便鉄道が敷設されました。 資材の移転は明治四四年(1911)に完了し、その後この鉄道は鉄道連隊の演習線路として用いられました。 路線は、初期に多少のルート変更がありましたが、津田沼−大久保−三山−高津−犢橋−宮ノ木−園生−千葉の約十六.七キロメートルの区間で、軌間六〇〇ミリメートルの軽便鉄道でした。 軌間一〇六七ミリメートルや一四三五ミリメートルの普通鉄道が併行して敷設されたこともあったようです。 
 津田沼に置かれた鉄道連隊第三大隊は、大正七年(1918)に鉄道第二連隊に昇格し、この演習線や昭和七年(1932)頃までに敷設が完了したといわれる津田沼−松戸間の演習線で、鉄道の敷設・撤去・修理の訓練や、機関車の運転訓練を行いました。
 戦後、演習線の跡は津田沼−松戸間がほぼ新京成線になりました。 津田沼ー千葉間は、津田沼−高津間が一時期自衛隊の演習線として用いられたのち、現在は大部分が道路となっています。
      平成20年 3月        習志野市教育委員会
  

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