碑の背景
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成東駅の駅前には2つの碑があり、一方には魁(さきがけ)、他方にはと刻まれている。 魁の碑は上総・下総の地に総武線の敷設を推進した安井理民の顕彰碑である。 安井理民は20才にして戸長として町政を担い、20代後半には鉄道の先見性に着目し、明治19年より総武鉄道敷設に盡力した。 明治27年には市川−佐倉間が開通したが、その5か月前に36歳で亡くなった。 

写  真
基本情報


所 在 地 : 山武郡成東町津辺305
           成東駅前
MapCode : 137079560*64
建 立 日 : 1965年10月23日
建 立 者 : 成東町
種   別  : 顕彰碑
撮 影 日 : 2003年8月17日


碑  文  わが両総の地に世に魁(さきがけ)て鉄道敷設の狼煙をあげ生涯をこの事業に捧げた人は実にわが成東町の先覚安井理民氏である
氏は安政六年(1859年)三月わが町の素封安井家に生まれ二十才で既に戸長として町政を担った
青年戸長の夢は常に大きかった
やがて県下に鉄道を敷き交通運輸の便を計り郷土の一大発展を図ろうとの大理想を抱き明治十九年決然立ってその運動にはいった  まず東京神田に創立事務所 を設け本町の塚本正脩氏を事務長に推し相扶け相謀り各地の有力者を歴訪しては参加を需め或は各種資料の調査研究に或は請願に或は資金集めに東奔西走の日々 が続いたかくて爾後七年有餘の血みどろの活動は遂に家産を傾けあまつさえ病を得て再び起たず明治二十七年二月十六日可惜奮闘の生涯を閉じた享年三十有六才   しかしその事業は後人に受継がれ明治三十年六月佐倉銚子間の開通を最後に両総を縦断する総武鉄道全線の完成を見るに至り氏の点じた灯の光は皎々と輝き 亘ったのである
  わが町は茲に記念碑を建て以て永く氏の功績を称えんとするものである
  昭和四十六年 二月 十六日
         成東町

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