快速電車稲毛駅停車記念碑
碑の背景
コメント
1894年7月総武鉄道は市川−佐倉間を開通させた。 この時には稲毛駅は設置されず、駅開設は1899年9月迄待たねばならなかった。 
戦後、高度成長期になると総武線も混雑がひどく、1964年「通勤五方面作戦」の一環として総武線は緩行と快速を分ける複々線化が実施された。 1972年7月錦糸町−津田沼間の複々線化に伴い、東京駅に向かう快速が設定された。 この列車は津田沼−千葉間はノンストップであった。 1981年7月津田沼−千葉間の複々線化が完成したが、この時津田沼駅にも快速線にホームが設置され、同年10月のダイヤ改正より稲毛にも快速が停車するようになった。

写  真
基本情報


所 在 地 :千葉市稲毛区稲毛東3-19-22
      稲毛駅北口
MapCode :6206042*75
建 立 日 :1984年 5月 1日
建 立 者 :津田沼千葉間複々線化促進会
      稲毛駅快速電車停車促進会
種   別  :達成碑
撮 影 日 :2005年 1月21日

碑  文           快速電車稲毛駅停車記念考
 明治三十三年九月十三日稲毛駅が出来た。 昭和二十五年木造平屋建二十坪程の稲毛駅周辺はペンペン草が生えていた。
 稲毛海岸へは歩いて商店街の前を通り一直線小仲台方面は、穴川町の陸軍戦車学校跡地に建設省地理調査所があり(現県立京葉工業高等学校・放射線医学研究所)、小仲台は防空学校の跡地、この地に戦後厚生省留守業務部、公営住宅四五〇戸、県立女子高校、千葉大学理学部があり、商店も住宅もなかった。 (現小仲台公民館、北部図書館、小仲台小学校、公務員住宅、千葉大学生寮)、二十五年七月、稲毛駅東口開設促進会(会長林三蔵 名誉会長千葉大学々長小池敬事氏、顧問建設省地理調査所々長武藤勝彦氏)を結成し、十一年の歳月を経て一千万円の金を集め国鉄に納付 昭和三十五年十月一日稲毛駅東口が出来た。
 津田沼−千葉間に急行電車を走らすため地元では、複々線化と稲毛駅に快速電車停車促進会を結成し十一年の歳月が流れ国鉄は四百六十億円を負担し複々線が昭和五十六年四月完成 十七億円を国が負担し昭和五十六年十月一日稲毛駅に快速電車が止まった。
 稲毛駅東口がなかったら快速はとまらなかったであろう。 今日国鉄の累積赤字九兆円 毎年一兆三千億円の赤字、職員三十七万四千人、国鉄の分割 民営論が叫ばれているが、我々は複々線化と快速停車決行の国鉄に対し深く感謝の意を表したい。
 千葉鉄道仮局には、百六十の駅があり売上一位、千葉・津田沼・船橋・稲毛となった。
 昨年来より稲毛駅東口を約八千万円で整備し、彫刻が東口に三 西口に一、計四体が建設され 全国にもめずらしい彫刻の駅となった。鉄道は国民の足であり 文化のバロメータでもある。
国鉄を愛し、鉄道の歴史をしのびつつ、一日十万人以上の乗降客、一千万円以上の売上のある稲毛駅をみて、誰が今昔の感に打たれざるものあらんや。
     昭和五十九年五月一日
      


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