本多貞次郎君顕彰碑
碑の背景
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本多貞次郎は1858年宇都宮で生まれ、工部省で東海道線建設工事の監督、東京市街鉄道の工務課長を経て1909年には6月に設立された京成電鉄の専務となり、京成線の建設に携わった。 1921年には京成電鉄が千葉まで開通したが、この年に本多は京成電鉄の初代社長に就任した。 その間、千葉県議会議員を経て1920年には衆議院議員になっている。 1936年京成電鉄の社長を退任しが、翌年に市川で病没した。 市川真間駅の近くには本多貞次郎の銅像が建てられていたが、戦時中の金属回収により無くなっている。

写  真
基本情報


所 在 地 : 市川市真間1-9-10
           市川市医師会横
MapCode : 6514354*64
建 立 日 : 1922年10月
建 立 者 : −−−
種   別  : 顕彰碑
撮 影 日 : 2010年 3月23日


碑  文   本多貞次郎君識見卓犖精力絶倫決シテ尋常ノ實業者
  流ニアラス京成電氣軌道株式ノ経営ニ任シ幾多
  ノ難関ヲ打破シテ能ク今日ノ盛運ヲ見ルコトヲ得タ
  リ顧ミテ之ヲ前日ニ見ルニ荊棘ハ拓カンテ住宅ノ區
  トナリ荒無ノ地ハ一変シテ■燕ノ境トナレリ
  者■有志ノ士胥謀リ君ノ壽像ヲ市川ニ建設ス聞ク君
  曽テ百難叢■ノ間ニ在リテ偶々余ノ窮即通ノ一文ヲ
  讀ミ省察スル所アリト云ヘリ然レバ有志ノ余ノ言ヲ
  徴スルハ亦縁ナキニアス世人能ク君ヲ師トセハ歩
  信行来皆担道ノ句リ真ニ人ヲ欺カサルヲ知ラン書シ
  テ本多君ニ質シ併セテ有志ニ告グト云フ
   大正十一年十月    蘇峰徳富猪一郎撰文
              愚渓吉田淳書  製作者本山日雲


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