飯泉喜雄顕彰碑
碑の背景
コメント
我孫子に鉄道の計画がもたらされたのは1894年11月日本鉄道土浦線の免許交付に始まる。 鉄道は1896年12月に開通し、同時に我孫子駅も設けられた。 この我孫子駅を設けるための用地は当時、我孫子宿の名主であった飯泉喜雄から提供されたものである。 善雄は代々続いた名主としての家財を日本鉄道土浦線の開通に注ぎ込んだが、38歳で他界した。 これを境に周囲の者は飯泉家に対し負債取立てに人が集まり、飯泉家の家財は全て無くなってしまった。 善雄の子供たちも若くして亡くなり、家系は途絶えている。

写  真
基本情報


所 在 地 : 我孫子市本町2
            我孫子駅南口
MapCode : 18136292*63
建 立 日 : 2003年 5月
建 立 者 : 飯泉喜雄顕彰碑建設の会
種   別  : 顕彰碑
撮 影 日 : 2005年 1月21日


碑  文  飯泉喜雄氏は「鉄道なくして町の発展無し」と信じ駅誘致に奔走私財を投じて駅用地を無償提供し明治三十九年我孫子駅開設に成功した
 さらに我孫子町長千葉県議会議員をつとめ地域の発展に尽力した
 以来この町は成田線の開通生糸工場進出白樺派文人の来往など発展の道をたどる 氏は激務と心労のため三十八歳で病没した
 私たちは氏の先見の明と奉仕の精神に満腔の謝意を捧げ今こそ町を愛する精神を奮い起こそう
   平成十五年 五月
   飯泉喜雄顕彰碑建設の会
   協力者  壱千三百余名


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