鎮魂碑
碑の背景
コメント
江戸時代以前より東海道と並んで関東と関西を結ぶ主要道であった中仙道の中で難関が碓氷峠であった。 この峠に初めて公共交通機関である鉄道が引かれたのは1888年9月に開通した碓氷鉄道馬車であった。 この開通により東京と直江津の間がレールで結ばれたが、2頭の馬で牽く上に、途中で馬を交代させねばならず経費が大変にかかっていた。 1893年にアブト式により官営鉄道が開通したことにより鉄道馬車は5年間の営業が終了した。 アブト式鉄道は当初、蒸気機関車が牽引していたために、連続するトンネルで煙に巻かれて窒息する乗務員も出たために、1912年には幹線で最初に電化された。 1963年になると輸送力増強のためにアブト式から粘着運転に変わり、1997年に長野までの新幹線が開通と同時にこの区間は廃止された。 この区間では鉄道建設時以外に熊ノ平駅での土砂崩れ、峠を下る列車の暴走等により無くなっ方も多く、これらの方に対する慰霊の為にこの碑は建立されている。

写  真
基本情報


所 在 地 : 松井田町横川404−8
MapCode :  292628074*67
建 立 日 : 1892年 3月 2日
建 立 者 : うすいの歴史を残す会
種   別  : 慰霊碑
撮 影 日 : 2010年 4月24日


碑  文 碓氷路交通殉難者
  鎮魂碑
平成八年四月吉日  うすいの歴史を残す会
  
碑解説
  鎮魂碑由来
 碓氷峠は、古くから東山道と呼ばれ古代から中世にかけて都と東国を結ぶ重要な宮道であった。 その後、徳川期には中仙道として整備され旅人、馬子、駕籠、大名行列等で賑わい、明治九年になって国道十八号線となった。 その後並行して、
  明治二十一年 馬車鉄道開設、
  明治二十六年 信越線アブト式の開通、
  昭和四十一年 複線電化と各種交通機関は幾多変遷を重ねてきました。 今、茲に信越線廃線に当たり、各種交通機関建設に関わり殉職された方、思わぬ災害や交通事故に遭遇し尊い命を失った人達を慰霊する為鎮魂碑を建立する。
  遊子願わくば一遍の回向を賜らんことを  合掌
           うすいの歴史を残す会

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