内藤分ステーション跡
碑の背景
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1881年岩倉具視などが参加して私立日本鉄道の創立が決まった。 この会社は先ず、東京から上州高崎に達する路線とその途中から分岐し青森までの路線建設に取り組んだ。 1882年に川口から工事が始まり1883年7月には上野〜熊谷間が開通した。 その後も建設が進み10月21日には熊谷〜本庄間、12月27日本庄〜新町間、1884年5月1日には新町〜高崎間、8月20日に高崎〜前橋間が開通した。 この前橋駅は現在の前橋駅ではなく、現在の両毛線が利根川を渡る手前である前橋市石倉町であり、別名、内藤分ステーションと呼ばれていた。 
1888年には両毛鉄道が小山〜足利間を開業させ、1889年11月20日には小山〜前橋(現在の前橋駅)間の営業を始めた。 日本鉄道の前橋駅は利根川の右岸に、両毛鉄道の前橋駅は利根川の左岸にあり、両駅間は利根川を挟んで約1.6kmの距離であった。 1889年12月26日に利根川に橋が架かり、日本鉄道により前橋駅(日本鉄道)〜前橋駅(両毛鉄道)間が延長された。 これに伴い、日本鉄道前橋駅は廃止された。
写  真

基本情報
 所  在  地 : 前橋市石倉町1−6
 マップコード : 20 756 565*20
 建  立  日 : 1989年 3月
 建  立  者 : −−−
 種      別 : 跡地碑
 撮  影  日 : 2013年12月25日

碑  文     内藤分ステーション之記
 明治十七年(一八八四)八月二十日上野−前橋間に鉄道が設置され、内藤分(現石倉町)に駅を設置「前橋ステーション」と称した。本県は全国有数の生糸の生産県であり、その輸送のため、日本で三番目の歴史的意義のある鉄道であった。当時さかんに生産された生糸を運ぶ「絹の道」の出発駅として前橋としては重要な停車場であった。明治の昔、近代文明の先端になってこの地に通称 内藤分ステーション(前橋ステーション)が前橋の表玄関として開設。 同十八年の乗降客は年間実に六九・一四七人。 同二十一年に至っては年間二一七・二六〇人と驚く程の繁栄ぶりであった。 栄に栄えた内藤分ステーションも後に利根川鉄橋が架けられ、数年にして姿を消したのである。 忘れ去られようとする日本の由緒ある駅舎の地を後世に伝え建碑の記とする。
    平成元年三月吉日       石倉史蹟愛好会 撰文

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