熊ノ平殉難碑 |
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碑の背景 コメント |
連日の雨で緩んでいた10号トンネル上部は、1950年6月8日夜8時半ごろに土砂崩れを起した。 この土砂崩れにより線路が埋まったために多くの保線区員が駆けつけ、徹夜で土砂の撤去作業を続けていた。 翌朝、同じ場所から前回の倍以上の7,000立方メートルもの土砂が崩れ落ちた。 これにより、前夜から復旧作業に携わっていた国鉄職員や官舎に居た家族を押し流し、50名が亡くなる惨事となった。 その後の捜索では押しつぶされた官舎の中から幼い乳飲み子をしっかりと抱えた若い母親の遺体が見つかり、多くの救助隊の涙を誘った。 碑の母子像は分部順治氏の彫刻である。 |
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写 真 基本情報 |
所 在 地 : 安中市松井田町 熊ノ平駅跡 MapCode : 292598887*32 建 立 日 : 1951年 建 立 者 : −−− 種 別 : 慰霊碑 撮 影 日 : 2012年 8月11日 |
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碑 文 | 昭和25年6月9日朝 この静かな碓氷の山峡に 山崩れが起きて作業中 の職員と家族を一瞬に して埋め去りました 鉄道の安全を守って犠牲 となられた五十のみたまに ゆき交う人々と共に哀悼の を捧げたいと思います 日本国有鉄道総裁 加賀山之雄 |
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