碓日嶺鉄道碑 |
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碑の背景 コメント |
横川〜軽井沢間の路線は1884年の現地測量から始まった。 この測量により、複数候補の候補が挙げられたが、1890年にアブト式を前提として再検討を行った結果、1891年2月に熊ノ平を通る経路に決定し、3月から着工した。 この線は途中に熊ノ平信号所を設け、隧道26ヶ所、橋梁18ヶ所、最大勾配66.7パーミル、延長11.2kmとなった。 建設開始から1年9カ月後の1892年12月22日に工事は完了した。 工事の完工とほぼ時を同じくして、ドイツからこの区間用に輸入した3900型蒸気機関車4両が横浜に到着した。 この機関車を使用して1893年1月23日から試運転が始まり、3月末になってようやく、営業運転が可能なレベルとなり1893年(明治26年)4月1日から営業運転が開始された。 この碑は1893年(明治26年)4月横川〜軽井沢間の開通を記念して軽井沢駅前に建てられたが、1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災で倒壊した。 軽井沢駅前には1940年にレプリカの碑が建てられ、倒壊した碑はそのまま、放置されていたが、これを発見した当時の横川保線区長小山五郎が1954年に熊ノ平に移し、古いレールやコンクリートで補強の上再建した。 |
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写 真 基本情報 |
所 在 地 : 安中市松井田町 熊ノ平駅跡 MapCode : 292598887*32 建 立 日 : 1893年4月 建 立 者 : −−− 種 別 : 開通・開駅碑 撮 影 日 : 2012年 8月11日 |
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碑 文 |
碓日嶺鐡道碑 陸軍大将住二位勲一等伯爵山縣有朋篆額 碓日嶺聳峙乎信濃上野之界奧羽山脈蜿蜒延乎西南為全邦脊梁至信濃層疊回 |
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