旧東北本線跡
碑の背景
コメント
1885年7月に宇都宮まで延長されてきた東北本線は、途中の利根川橋梁が完成せず、鉄道連絡船での運行であった。 1886年6月には利根川橋梁も完成し、上野から宇都宮まで乗り換えなしで移動できるようになった。 この年の10月には宇都宮から西那須野まで延長されたが、その経路は宇都宮から真っ直ぐに北上する、現在の東北新幹線に沿った路線である。 その経路上には碑文にもあるように、西鬼怒川、東鬼怒川が有り、両河川を橋梁により渡河しなければいけなかった。 両河川は夏季の大水に対する橋脚などの補修費と補修時間が嵩んだ事により、路線を変更することになった。 変更後の路線は宇都宮駅から東北寄りに向かい、東西鬼怒川が合流したあとの川幅が狭くなる地点で渡河することとし、1897年に宇都宮〜矢板間の経路が変更となった。 
この路線変更により、旧路線上にあった古田駅・長久保駅が廃止となり、岡本駅・氏家駅が新設された。
この写真の碑は芦沼町の八龍神社そばの藪の中にあった。 写真の碑の後ろにあるレンガの壁は橋梁の一部である。

写  真
基本情報


所 在 地 : 宇都宮市芦沼町3277
MapCode : 39 876 314*77
建 立 日 : −−−
建 立 者 : −−−
種   別  : 跡地碑
撮 影 日 : 2013年 4月16日


碑  文  明治五年(1881)新橋・横浜間をはじめて鉄道が開通した。 東北本線においては、明治二十四年に東京・青森の全線開通を見ている。 栃木県内では、明治十八年大宮宇都宮間の開通が最初で、明治十九年十月に宇都宮から西那須野まで開通となった。 上河内町地域通過の路線は、河内町古田から芦沼・下小倉へと北上し、現在の氏家大橋の地点を通過、長久保へと敷設された。 しかし、停車駅はなく最寄りの宇都宮・古田・長久保まで出向いて乗車したものである。 西鬼怒川橋は明治十九年東鬼怒川橋は翌二十年に完成している。 しかし、両鬼怒川の洪水により損害がたび重なり遂に明治三十年に岡本・氏家・片岡の路線変更として新設開通させ旧路線は廃止となってしまった。
 この間、約十年に渡る東北本線の本町通過であった。
                        上河内町教育委員会 
                        西 芦 沼 自 治 会

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