大谷新介君紀功碑
碑の背景
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1844年勝田で生まれた大谷新介が勝田村村長の時に日本鉄道の常磐線が開通したが、勝田に駅は設けられなかった。 村長である大谷新介は日本鉄道に対し勝田への駅設置を要請した。 日本鉄道では勝田から那加湊・平磯方面への軽便鉄道敷設を条件に勝田駅設置をする事にした。 この為大谷新介は地元に働きかけ資本を集めて武平鉄道を設立した。 1907年、武平鉄道は湊鉄道と改組したが那加湊−勝田間の鉄道が開通したのは1913年、勝田駅開業の3年後であった。 
大谷新介が設立した湊鉄道は1944年に茨城県内の交通統合により茨木交通湊線となったが、2008年3月末日にひたちなか海浜鉄道に移管された。
写  真   基本情報
 所  在  地 : ひたちなか市勝田中央1-1
            勝田駅
 マップコード : 47198790*76
 建  立  日 : 1925年 8月
 建  立  者 : −−−
 種      別 : 顕彰碑
 撮  影  日 : 2010年12月17日

碑  文    大谷新介君紀功碑    茨城縣内務部長堀田鼎題額                 
明治三十四年日本鐡道株式会社敷設常磐線開始汽車運轉也大谷君蹶然日時機木可
失矣乃與同姓夘之次郎小六郎外八名謀欲敷設武平線者武平即自勝田村武田起達平
磯町之謂也君首當其計畫之任百方奔走勤誘無不至三十六年下付武平鐡道株式會社
設立假免状專従事株式募集沿線有志皆賛之而不幸會日露之戦役勃發財界之形勢一
變事業遂頓挫至發起者亦自解體君慨然謂事至此不如獨力當之矣爾来焦心苦■■至
東京與原信謹相£携得回復之端緒遂短縮豫定線路改武平線為湊鐡道或寄附敷地
或投費用更募集株式獲代議士矢島浦太郎援助設立株式會社大正元年遂完了鐡道布
設得達其宿志矣後至十三年線路延長更達平磯町是皆君之鋭意創業所致也君名新介
父曰藤次衛門母大谷氏那珂郡勝田村武田人家世業農君性剛健精敏居恒専用心公益
一旦立志則無肯回避故世人皆敬愛焉明治之初為武田村戸長三十四年為勝田村長三
十九年叙勲七等授青色桐葉章及金若干依三十七八年戦役之功也四十二年推為湊鐡
道株式會社監査役今茲乙丑君齢己八十二湊鐡道沿線有志多君之功建設紀功碑於勝
田停車場欲以傳諸不朽請文於余乃接状叙事蹟之梗槃云爾                
大正十四年八月中浣          水戸   栗田勤撰文弁書              

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