飛翔
碑の背景
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1970年の大阪万博、1975年の沖縄万博に続いて、日本における3番目の万博として1985年に谷田部町(現在のつくば市)において科学万博が開催された。 当時はつくばエクスプレスは無く、都内から会場付近に行くには常磐線を利用するのが普通であったが、最寄駅である牛久駅と土浦駅からはバスで30分もかかることから、会場に近い牛久駅と荒川沖駅の間に臨時駅として万博中央駅が設けられた。 この臨時駅は万博開催直前の3月14日から閉幕日の9月16日まで開設されていた。 地元では万博中央駅の恒久化を希望していたが、恒久化は実現せずに臨時駅は廃止となった。 この為、地元ではここに駅があったことを示すために駅の有った場所にこの碑を建立した。 その後、牛久市と住宅公団による請願駅として1998年3月に万博中央駅のあった場所に”ひたち野牛久駅”が開設された。
この碑は当初、万博中央駅があった場所に設置されていたが、一時、撤去され牛久市役所で保管された後、ひたち野西公園に設置されていたが、2009年に現在地(ひたち野うしく駅前)に移設された。
写  真

 
基本情報
 所  在  地 : ひたち野うしく駅前
 マップコード : 65 604 400*32
 建  立  日 : S61 年 5月 8日
 建  立  者 : 万博中央駅跡
             記念碑建立委員会
 種      別 : 跡地碑
 撮  影  日 : 2012年 8月21日

碑  文  かつてここに、万博中央駅があった。
 国際科学技術博覧会”科学万博−つくば’85”が、 筑波研究学園都市で開催されたのは、一九八五年で あった。我が国の科学技術のメッカ筑波研究学園都 市、および我が茨城の名を内外にからしめるため、 竹内藤男県知事、横田栄一県議会議長らが中心とな って運動した全県民の熱意が、 実を結んで実現した もので、 「人間 ・ 居住  環境と科学技術」 のテーマ のもとで、科学の先端技術を駆使して出展されたパビ リオンは、国内、国外から八十を数えた。
 三月十七日から九月十六日までの六か月の開催期 間中に、会場を埋めた観客は二千万人を超える盛況 で、このうち三百八十余万人が、牛久町大字中根宇 鳴神、原田、兎谷津地内に、臨時に設置された常磐 線万博中央駅を利用した。
 万博中央駅の敷地面積は九.八ヘクタールに及び、 さらに幅員三十四メートルの学園西大通り線が延伸 され、万博中央駅から西大通り線を通して会場まで、 日本で初めて連接バススーパーシャトルが運行し、 観客輸送の主役を担った。
 万博中央駅はまさに、科学万博−つくば’85の表玄 関としての役割を果たし、牛久町の面目を遺憾なく 発揮した。世紀の祭典成功の一翼を担った、”万博中 央駅”の栄光を称えるため、ここに碑を建立して、 永く記念とするものである。
    昭和六十一年五月八日
       万博中央駅跡記念碑建立委員会
 

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