軌道開通記念碑
碑の背景
コメント
福島交通軌道線が福島駅から掛田まで延長されたのは1911年4月で、福島駅前−長岡−湯野村間が開業した1908年4月から3年後の事である。 福島交通軌道線は当初信達軌道として福島−湯野村、長岡−保原間を開業させたが、1908年7月末に大日本軌道に併合され既開通区間は福島支社の路線となった。 掛田迄の延長は大日本軌道の手によって行われたが、1917年9月には経営主体が信達軌道して独立した。 1926年には1月に社名を福島電気鉄道と改称するとともに、4月には軌間を762mmから1067mmに改軌すると同時に、動力も蒸気から電気へと変更し、電車の運行が開始された。 1962年9月には社名が福島交通と改称された。 1971年4月、60年間運行されてきた軌道線は廃止された。 廃止当時に使用されていた電車の内3両が伊達市内(1115号:霊山こどもの村1116号:保原中央公民館)と福島市内(1119号:瀬上小学校)に保存されている。
写  真
基本情報
 所  在  地 : 霊山町掛田
 マップコード : 76116828*64
 建  立  日 : 1919年 4月
 建  立  者 : 掛田町
 種      別 : 開通・開駅碑
 撮  影  日 : 2010年 8月28日
碑  文 掛田町在伊達郡之中央古来占枢要之■位物産充溢蠶業盛而掛田生絲之名夙暮乎世界然衆山回環以 交通不便沮害人文之進歩利源之開発蓋不尠少有志之士概之久矣偶大日本軌道株式會社長雨宮敬次 郎■地方之士欲組織軌道會社以敷設諸信達二郡要衝之地也誘町長大橋佐兵衛而安田常作等企圖其 實現明治三十九年十一月十九日請實地蹈査遂使掛田入其敷設圏内町民大歓喜伊達郡長馬場直人亦 圖國利民福而賛比計與會社協定明治四十年二月附議里道改脩費以起其工然掛田線以直不著手明治 四十一年四月町長菅野賢助諮町會寄附工費壹千二百圓役夫五百人開鑿保原掛田間之里■切俟其敷 設時福嶋湯野間既開通長岡保原梁川間亦相尋通獨掛田線以曲折崎嶇不適敷設荏苒送日於■大橋伊 三郎組織期成同盟會且為臨時町長代理時明治四十二年二月也此年八月佐藤源兵衛就任町長也愛慮 不能措熱誠欲■解決之日夜奔走問之輿論以察民心之歸■受佐藤幾之助大内虎之助金谷重郎治等之 應援而陳情於郡長且■交渉會社遂得補助金立軌道再改修之■畫明治四十三年二月十七日奉齊天神 地祇於積雪皚皚之取揚山起工更督役鑿嶄巌夷峻峯■隰皋擴道路疊石橋川流以勵其工然取揚山之開 鑿最難工事而容易不進行故工費益告不足雖當局之苦心町民之勞費益加堅忍不抜之精神與一致協同 之努力相俟終始一貫排百難忍萬苦拮据經營閲月十九捐資壹萬五千圓檢其工程新設道路千三百五十 關キ土千三百坪切土二千五百坪點石巌石切取三千坪暗渠四十二所橋梁七所眼鏡橋一所取揚山之開 鑿二十七尺長百韜P道路敷地之買収三町餘歩嗟■爾一小町之工事豈容易哉况於町有校舎増築水害 復旧之二大工事且桑葉被害財界不振之時哉然終能遂行此工事以寄附之郡明治四十四年四月八日行 竣工報賽祭於龜岡神社翌日擧開通祝賀式於茶臼山公園其殷賑實為空前想富彊之大本在開國土殷物 産■也取揚山之關門一闢軌道忽易易延長川俣町交通之便運輸之業愈盛而利源斯通國本斯實人心為 興起隆昌發展之氣運■然来思之昨出今収前損後償以有餘豈不楽哉頃依町會決議欲建記念碑■余文 因敍其梗概傳後毘
         大正八年四月         榊園  懸田訓平撰竝書

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