赤岩 殉職記念碑
碑の背景
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 奥羽本線は明治32年(1899年)に福島〜米沢間が開通した。 この区間には庭坂・赤岩(信)、板谷、峠(信)、大沢(信)、関根の各駅・信号所が設けられたが、1000分の33の勾配が連続する板谷峠越えの難所で、開業当時には2120形のC1型タンク機関車が主力としていた。
 明治42年(1909年)6月12日、本務機関車、木造の客車・貨車、後部補機機関車編成された列車が赤岩信号所を発車後、13号トンネルの中で空転を頻発した。 その際、後部補機機関車の機関手と機関助手は蒸気により窒息・昏倒した。 異常に気づいた本務機関車の機関手は非常制動をしようとしたが、できずに列車は後退を始め、そのまま、赤岩信号所構内に侵入して脱線・転覆した。 これにより木造の客車や貨車は粉砕され、旅客は1名死亡、27名負傷、職員は3名死亡、3名負傷した。
 この事故により急勾配に見合った高性能の蒸気機関車が求められ、1910年には動輪が5軸で先従輪を持たない4100形蒸気機関車が計画され、1912年にドイツから4両が輸入された。 1914年には4100形を元にして国産の4110形蒸気機関車が量産された。
 
写  真

 
基本情報
 所  在  地 : 米沢市駅前一丁目
 マップコード : 660240474*13
 建  立  日 : 1932年12月
 建  立  者 : 米澤鐡道倶楽部
 種      別 : 慰霊碑
 撮  影  日 : 2014年 8月26日

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