殉職碑
碑の背景
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奥羽本線の福島〜米沢間は明治32年(1899年)に開業したが、この区間には連続する33.3パーミルの急勾配、4駅連続するスイッチバックなどがあり、日本の鉄道では碓氷峠・瀬野八(山陽本線八本松〜瀬野間)と並ぶ難所で、この区間の為の補助機関車として動輪が5軸ある4110形やE10型蒸気機関車が使用されていたが、牽引定数は300tに制限されていた。 この区間の輸送力向上の為、1946年11月から電化工事がスタートし、1949年4月に電化工事が完了して電化された。 
この慰霊碑は電化工事の最中に発生した事故で、その詳細は碑文の通りである。 碑文中にある環金隧道は板谷峠区間が開業した時にこの区間にあった19のトンネルの中で3番目の長さで33.3パーミルの勾配上に作られており、延長609.6mであった。
   
写  真
基本情報


所 在 地 : 米沢市大字板谷
MapCode : 475 513 274*44
建 立 日 : 1956年11月
建 立 者 : −−−
種   別  : 慰霊碑
撮 影 日 : 2017年 9月11日


碑  文 昭和二十二年十一月二十二日国鉄板谷変電工事区長故中沢宗十郎君は福米線電化工事用鋼材を自ら指揮者となってトロリーにて運搬中急勾配にかかるや突然ブレーキに故障を生じ危険を感じたる為部下職員を下車せしめ尚独りトロル―上にありて停車せしめんとしたが力及ばず遂に逸走するに至り環金隧道内にて工事中の作業台車に激突しブレーキハンドルを握りしめたる侭壮烈なる殉職を遂げたものである 同君の旺盛なる責任感は我々の範とするもので茲に碑を建て永くその遺徳をしのぶものである
  昭和三十一年十一月建之
     発起人  高木市五郎
        外有志一同

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