羽後里見駅跡
碑の背景
コメント
羽後交通横荘線は横手−本荘間の鉄道敷設を目的に1916年横荘鉄道として会社を設立し、1918年8月に横手−沼館間が開通した。 1919年7月には沼館−舘合間、1920年3月には舘合−羽後大森間、1928年11月羽後大森−二井山間と逐次、延長を重ね、1930年10月二井山−老方間が開通した。 この碑がある羽後里見駅は沼館まで開通した1918年に設けられたものである。 
横荘線は1953年8月に二井山以遠が廃止となり、1966年には舘合以遠、1966年には沼館以遠と徐々に廃止になった。 横荘線で最初に開通した横手−沼館間はこの駅と共に1971年に廃止され横荘線は全線廃止となった。


写  真
基本情報


所 在 地 : 横手市雄物川町
           東里字東里北10
MapCode : 138099282*64
建 立 日 : 2002年 3月
建 立 者 : 旧雄物川町
種   別  : 跡地碑
撮 影 日 : 2008年10月17日


碑  文 大正五年(1916)、地域の有力者たちが、「横荘鉄道株式会社」を設立し、横手・本荘間を結ぶ鉄道を敷設することになった。 大正六年に東線(横荘線)が横手から着工された。
大正七年(1918)八月十八日「横手←→沼館」(十五・三キロ)
大正八年(1919)七月十五日「沼館←→館合」(三・六キロ)
大正九年(1920)三月二十四日「館合←→羽後大森」(一・八キロ)
昭和三年(1928)十一月一日「羽後大森←→二井山」(五・四キロ)
昭和五年十月五日(1930)「二井山←→老方」(十二・一キロ、トンネル五ヵ所)でそれぞれ営業を開始し、全長三十八・二キロとなった。 昭和二年五月の羽後里見駅乗車人員は一五七ニ人、降車人員一五五六人、貨物小口取扱、四〇七八斤量(約二・四四六キログラム)であった。
横荘線の沿線市町村発展に寄与した功績はまことに大きいものがあったが、交通事情の変化によって乗降客が次第に減少し、昭和四十六年(1971)七月二十日最後の運行区間であった沼館←→横手間も廃止になり、五十有余年にわたる営業に終止符を打った。


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