くりはら田園鉄道記念碑
  
碑の背景
コメント
くりはら田園鉄道は碑にもある様に、東北本線の石越駅を起点とした1921(大正10)年に営業を開始し、2007(平成19)年に廃止された地方鉄道である。 石越駅〜細倉鉱山駅まで、くりはら田園鉄道の駅があった場所には全て、「〇〇駅跡」と刻まれた碑が建立されているが、この若柳駅だけは、他の駅とは異なる碑が建立されている。 これは、若柳駅には車両基地が設けられており、この鉄道の中心的存在であったためと推測される。
現在、若柳駅の裏にあった車両基地には、くりでんレールパークが設けられ、くりでんで使用されていた車両の保存や気動車、レールバイクの乗車会が5月から10月の日曜日に行われている。 このイベントがある日以外は閉鎖されており、車両類も近くで見る事は出来ない。

写  真
基本情報


所 在 地 : 栗原市若柳川北塚ノ根
            若柳駅跡
MapCode : 199 361 549*88
建 立 日 : 2010年 6月
建 立 者 : −−−
種   別  : 跡地碑
撮 影 日 : 2014年 7月21日


碑 文
(表面)
 くりはら田園鉄道は、大正7年12月15日に旅客輸送、農林資源の開発と振興を目的として設立され、大正10年に石越駅〜沢辺駅間で開業した。 大正11年には岩ヶ埼(栗駒)駅まで、昭和17年には細倉鉱山駅まで延伸された。
 昭和30年から昭和42年頃には、通勤通学の足としても活躍するとともに貨物取扱量も増加するなど最盛期を迎えたが、沿線の過疎化やモータリゼーションの進展、昭和62年の細倉鉱山の閉山による貨物輸送の廃止等により経営が悪化し、平成5年には沿線5町と県が出資する第三セクターとなった。 その後も営業努力を重ねたが経営悪化に歯止めがかからず、平成16年6月の株主総会において、平成19年4月1日の営業廃止が決定された。
 設立から営業廃止までの約90年間、田園風景の中を栗駒山に向かって走り続けた「くりでん」の姿は、多くの人々に愛され、想い出を刻み続けた。
 ここに、「くりでん」の歴史を永く後世に伝えるため、記念碑を建立する。
   平成22年 6月
  
 碑 文
(裏面)
     くりはら田園鉄道沿革
 大正 7年12月15日   栗原軌道株式会社として発足
 大正10年12月20日 石越〜沢辺間8.8kmを蒸気動力
                軌間762mmにより営業開始
 大正11年12月17日 沢辺〜岩ヶ埼(栗駒)間、7.8kmを延長し石越〜岩ヶ埼間
               16.6kmとなる
 昭和16年12月 3日 栗原鉄道株式会社に商号変更
 昭和17年12月 1日 岩ヶ埼〜細倉鉱山間9.3kmを延長 全線26.2kmの営業開始
 昭和25年 9月21日 蒸気動力を電気動力に変更
 昭和30年 9月27日 軌間1067mmによる営業開始
 昭和30年11月29日 栗原電鉄株式会社に商号変更
 昭和39年 5月 1日 陸前乗合自動車株式会社と合併
                宮城中央交通株式会社に商号変更
 昭和44年 2月25日 バス部門分離に伴い栗原電鉄株式会社に商号変更
 昭和62年 4月30日 JRとの連絡運輸取扱廃止、
               同年3月に細倉鉱山閉山により貨物取り扱いが皆無となる
 昭和63年10月17日 貨物営業線 細倉〜細倉鉱山間(0.7km)が廃止
 平成 2年 6月16日 細倉駅を移設、駅名を細倉マインパーク前駅に変更。
               全線25.7kmとなる。
 平成 5年12月15日 第3セクターへ経営移管
 平成 7年 4月 1日 くりはら田園鉄道株式会社に商号変更
               電気動力を内燃動力に変更
 平成19年 4月 1日 営業廃止。 90年の歴史に終止符を打つ  清算開始
 平成22年 6月30日 清算終了  資産を栗原市並びに登米市に引き継ぐ

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