交流電化発祥地
  
碑の背景
コメント
交流電化は直流電化にくらべ地上設備のコストが低い、電動機の起動制御ロスが少ない、粘着係数が高い等のメリットが有るため、1953年頃より商用周波数による交流電化の研究が始められた。 仙山線の宮城・山形の県境には延長5Km以上ある仙山トンネルがあるため作並−山寺間は当初より直流電化をされていた。 交流電化には直流電化区間との接続点で切り替え設備が必要となるため、仙山線の直流電化区間を利用し、1955年に仙山線の北仙台−作並間が交流電化され実用化試験が行われた。 この為仙台−山形間は交流・直流・非電化(蒸気機関車)の3方式がある珍しい線区となった。 また、作並駅には日本初の交直流の切り替え設備が設けられた。 しかしながら1960年には山寺−山形間が直流電化され、1968年9月には奥羽線の交流電化に伴い、直流電化区間である作並−山形間が交流電化に切り替えられたことにより作並駅にあった交直切替設備も廃止され、現在の姿となった。
仙山線における、この成果をもとに、1957年10月、北陸本線田村−敦賀間が交流電化され、以降の交流電化の先駆けとなった。


写  真
基本情報


所 在 地 : 仙台市青葉区作並  作並駅
MapCode : 464826698*73
建 立 日 : −−−
建 立 者 : −−−
種   別  : 発祥碑
撮 影 日 : 2008年10月16日


碑  文    交流電化の由来
昭和28年8月 交流電化調査委員会発足
昭和29年9月 仙山線北仙台〜作並間の50Hz/20kVの交流設備の工事が完了
昭和30年8月 国産交流電気機関車ED44−1による試験運転を開始
昭和31年3月 地上設備と機関車の実地試験完了
わが国の交流電化は、仙山線におけるデータを基礎として北陸本線、東北本線の電化へ、さらには新幹線へと世界に誇る鉄道として飛躍的に発展した。 作並は、記念すべき交流電化発祥の地であります。
  

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