岩手軽便鉄道 鳥谷ケ崎駅跡
   
碑の背景
コメント
花巻地区合同庁舎の向かい側にある材木店の裏にある道路沿いにこの碑は建立されている。
岩手県では1911年(明治44年)に内陸部と製鉄所がある釜石を結ぶ県営鉄道を視野に調査を行ったが、財政難により実現しなかった。 これに対して、民間で鉄道を敷設する構想が浮上し同年、花巻〜遠野間65Kmを結ぶ軽便鉄道の敷設申請が出され、同年7月に免許が交付された。 1912年(大正元年)9月に両端から工事が始まり、翌1913年10月に花巻〜土沢間12.7kmが開通した。 この時には途中に矢沢停留所と幸田停留所の2駅だけが設けられた。 1915年(大正4年)4月になって花巻駅から0.6kmの地点に鳥谷ケ崎停留所が設けられた。 1915年11月に仙人峠までが開通し、これにより仙人峠の索道を用いる事により花巻〜釜石の連絡ルートが完成した。 その後、このルートは国有化され釜石線となった。 なお、国有化され軽便鉄道から東北本線と同じ狭軌に改軌された際に花巻〜似内間は軽便時代とルートが変わりこの碑がある場所は通らなくなった。

写  真
基本情報


所 在 地 : 花巻市花城町3
MapCode : 108 794 369*01
建 立 日 : −−−
建 立 者 : −−−
種   別  : 跡地碑
撮 影 日 : 2016年 6月28日


碑  文  岩手軽便鉄道は、似内まで現在の釜石線とは別のコースを通っていた。 稗貫農学校の前を通り鳥谷ケ崎神社の北裏から瀬川の鉄橋を渡り小舟渡地区を通って似内駅に至った。 稗貫農学校や花巻高等女学校の汽車通学生はこの駅で乗降した。 何しろ時速15km程なので汽車の来る音を聞いてから校門を飛び出しても間にあった。
  「シグナルもタブレットもあったもんでなく    とび乗りのできないやつは乗せないし
  とび降りぐらいやれないものは   もうどこまでもつれて行って ・・・・」
  詩(「岩手軽便鉄道 七月(ジャズ)」)

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