横黒線付替工事慰霊碑
   
碑の背景
コメント
北上と横手を結ぶ鉄道は1882年(明治25年)に鉄道敷設法の予定線として計画されたが計画が進まなかったために地元は鉄道敷設法からの削除を求め、規格が低い軽便鉄道として建設することとし、黒沢尻(現北上)、横手の双方から建設を始め、建設が終わった区間から逐次、開業していった。 最初に開業した区間は1920年10月の横手〜相野々間7.7kmが、翌1921年3月には黒沢尻から横川目間14.3kmが開業した。 その後も開業区間を逐次、延長させ1924年11月15日に大荒沢〜陸中川尻間が開通したことにより全線が開業した。 1954年に黒沢尻駅は北上駅と改称されたが、線名は改称されなかった。 
北上川は一ノ関付近の約18kmは川幅が狭くなって居り、上流部で大雨が有ると度々、洪水が発生していた。 この対策として北上川上流部の各支流にダムを建設する計画が建てられた。 横黒線は北上川支流の和賀川沿いに線路が敷設されていたが、和賀川の湯田町にダムが建設される事になったため、大荒沢・陸中大石・陸中川尻を含む15.3kmが水没する事となった。 この為、1959年(昭和34年)から線路の付替え工事が始まり、1962年12月に線路の付替え工事が完了した。 この工事により、17名の方が犠牲となられた。

写  真
基本情報


所 在 地 : 岩手県和賀郡西和賀町
MapCode : 547 174 542*12
建 立 日 : 1962年11月
建 立 者 : 鹿島建設
      西松建設
      間組
種   別  : 慰霊碑
撮 影 日 : 2016年 6月28日


碑  文 表 
  慰霊碑


  横黒線岩沢陸中川尻間線路付替工事殉職者
   (殉職者氏名 17名)
  昭和三十七年 十一月
  鹿島建設株式会社
  西松建設株式会社   建立
  株式会社 間組
  

 戻る

inserted by FC2 system