旧東北本線最高駅
奥中山高原駅

   
碑の背景
コメント
 奥中山高原駅は1891年9月1日に日本鉄道中山駅として開業した。 1906年には日本鉄道が国有化され、官設鉄道東北線の駅となった。 1915年に駅名を奥中山駅となり、2002年に東北新幹線の八戸延伸に伴ってこの駅を含む区間がIRGいわて銀河鉄道の駅となり、名称も奥中山高原駅となった。 この駅の北約1Kmにある十三本木峠が旧東北本線で最も高い地点で、蒸気機関車全盛期には先頭に2両、最後尾に1両の蒸気機関車が黒い煙を吐きながら行き来していた。 御堂−奥中山−小繋の区間は重連蒸気撮影の名所として多くの人が利用していた。
 

写  真
基本情報


所 在 地 : 二戸郡一戸町中山字大塚
            奥中山高原駅前
MapCode : 447 237 536*35
建 立 日 : −−−
建 立 者 : −−−
種   別  : 地点碑
撮 影 日 : 2016年 6月27日


碑  文 旧東北線最高位駅 奥中山高原駅 (旧名:中山駅) 標高427m
東北本線の歴史を辿れば、明治期に日本鉄道が建設した路線で当初は「東北線」と呼ばれ、1890年(明治23年)に東京−盛岡間が開通、翌1891年(明治24年)盛岡−青森間が開通して東北線の全通となっている。 東北線最大の難工事となった盛岡・小繋間(現IGR路線)は、後に「台湾鉄道の父」と称された長谷川謹助鉄道技師が工事にあたり、小繋・青森間は小川資源鉄道技師が担当しました。 また、台湾縦貫線敷設工事を請け負った鹿島組(現鹿島建設)がこの東北線の敷設工事(盛岡−青森間)に従事したという歴史もある。

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