鐡道開通記念碑
   
碑の背景
コメント
宮古駅前に並ぶ3つの碑。 その真ん中が「鉄道開通記念碑」である。 山田線は1934年11月に盛岡−宮古間が開通した。 この碑は山田線の宮古開通を記念して建立されたもので碑文は鈴木巌が文章を練り、新渡戸仙岳の書に依っている。

写  真
基本情報


所 在 地 : 宮古市栄町  宮古駅前
MapCode : 286203479*74
建 立 日 : 1934年11月 6日
建 立 者 : −−−
種   別  : 開通・開駅碑
撮 影 日 : 2008年10月19日

碑解説
右下の
白い看板
 この記念碑は、昭和9年11月に山田線の宮古までの開通を記念して建立されたものです。
 碑文には、鉄道開通までに尽力された人々と、宮古街道の開さくに情熱を傾けた牧庵鞭牛の偉業を称える文が刻まれています。
  
碑  文     鐡道開通記念碑  伯爵南部
我が山田線鐡道敷設法案の帝國議會を通過せるは大正九年にして原敬先生か内閣に首班たるの時なり爾来十有五年内閣の更送により本案の危殆に瀕するもの一再ならす故代議士熊谷巌氏毎に身を挺して之れが繼續及び速進に盡瘁し以て漸く今日盛宮間の開通を見るに至れり是よりさき本鐡道敷設は盛宮兩地有志の熱望せる所にして殊に故代議士菊池長右衛門氏の如き勇往邁進往に私財を拠ちて其の目的貫徹に奔走努力し席温まるに遑あらさるものありき又當時鐡道省次官石丸重美氏■はひ政友會領袖代議士榊田清兵衛氏等深甚なる同情を以て地方民の希望を満足せしむるに盡力し政府愈々之を提案するに及び百万斡旋これが成立に努力せるが幸いにして其の勞苦空しからす議會を通過し以て十五年後の今日はしめて其の實現を見るに至れるなり尤も原先生は此の問題に關し斷えす心を用ゐて其の機≠ノ處せられたるに言を竢たず去れば先生をはしめとし前掲諸氏の功勞は實に偉大にして千載忘るへからさるものあり由来盛宮間交通機關の甚た緊要なるものあるに拘わらす二百年前まては両地間に一定の道路なく巌壁を攀ち溪流を渉り續に往来するを得たるのみ牧庵鞭牛和尚深く之れを概し濟世の念己みかたく寺務を小僧に託し決然奮起自ら玄翁鶴嘴を執りて開鑿を企てたりしか其のはしめ人皆和尚の迂愚なるを笑へり而して其の日■に延びゆく路面の利便を感し■■足まさる熱誠に動かされ沿道の農樵皆出て■事を共にし寒暑風雨備に艱難を嘗め以て人馬の往来自由なる二十餘里の道路を竣成せり明治維新後島推精氏知縣たるや亦深く本道の重要なるを慮り大に改修に力を鼓し一段の利便を加えたり然れとも世態の進運は鐡道敷設を要求して己は十終に今日あるを致せるなり若し天れ鞭牛和尚の偉績は先年碑を川井村に建てこれを表する所ありた而して原先生以下熊谷菊池石丸榊田等諸氏の功勞は未たこれを後世に傳へき何ものもあらす今回鐡道開通に際し宮古地方人士深く其の宿志貫徹の由て来る■を思い建碑顯彰の擧あり余か聊か其の來由を知るの故を以て特に功勞顯著なる■この氏名を録せんことを謀らる顧みれば原先生をはしめとし本鐡道敷設に心血をそそきたる諸氏皆蘭摧玉折異世の人と為らさるはなし而して思ひきや不敏余の如きもの碌に瓦全爰にこの碑に筆を執らんとは實に感慨無量黯然たらさるを得さるなり
    昭和九年十月六日

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