三陸鉄道北リアス線ここに始まる

碑の背景
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三陸沿岸を鉄道で結ぶ構想は1896年に発生した明治三陸地震とそれに伴う津波に対する復興対策として出された。 この構想の下、1928年に宮城電気鉄道(現仙石線)が仙台ー石巻間を、1930年に八戸線として久慈−八戸間が、1935年には大船渡線の気仙沼−盛間が、1939年には山田線の釜石−宮古間が開通した。 この三陸縦貫鉄道構想は戦後も継続され、宮古−久慈間、盛−釜石間も工事線となったが、両区間の全通を待たずに国鉄の財政悪化により、建設が凍結となった。
岩手県と沿線各市町村は1981年に第三セクター「三陸鉄道株式会社」を設立し、1982年にはそれまでに開通していた久慈線(久慈−普代間)、宮古線(田老−宮古間)、盛線(盛ー吉浜間)を国鉄から引き継ぐ事を決めるとともに、未開通区間の建設を進めた。 1984年4月1日、未開通区間の建設完了を待って、久慈−宮古間が三陸鉄道北リアス線、盛−釜石間が三陸鉄道南リアス線となった。
写  真

 
基本情報

 所  在  地 : 久慈市中央
            久慈駅前
 マップコード : 296 077 447*85
 建  立  日 : 1984年 4月 1日
 建  立  者 : −−−−
 種      別 : 発祥碑

 撮  影  日 : 2014年 8月25日

碑  文    三陸鉄道北リアス線ここに始まる
    昭和59年4月1日
    久慈市長 久慈義昭

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