二枚橋駅開設
五十周年記念

  
碑の背景
コメント
1890年(明治23年)11月1日、日本鉄道は現東北本線の一ノ関−盛岡間を開業させた。 この時に出来た駅は前沢・水沢・黒沢尻(現北上)・花巻・日詰・盛岡の各駅であった。 1893年(明治26年)には花巻―日詰間に石鳥谷駅が設置されたが、場所は花巻駅から11.4km、日詰駅から5.4kmと単線区間では大変にアンバランスな位置への設置となった。 1906年(明治39年)に日本鉄道が国有化された後もこの状態は続き、花巻駅・石鳥谷駅間に交換設備が設けられるのは1922年(大正11年)7月のことで、両駅に丁度中間地点である花巻から5.7kmの地に二枚橋信号所が設置された。 これにより、花巻・二枚橋:5.7km、二枚橋・石鳥谷:5.7km、石鳥谷・日詰:5.4kmとほぼ等間隔に交換設備は出来上がった。 信号所が設置された二枚橋地区では当然、駅への昇格を働きかけたが、実現したのは1932年(昭和7年)のことであった。
  
写  真
基本情報


所 在 地 : 花巻市二枚橋5-118
            花巻空港駅前
MapCode : 378 660 683*50
建 立 日 : 1982年 8月23日
建 立 者 : −−−
種   別  : 周年碑
撮 影 日 : 2014年 8月25日


碑  文  二枚橋駅開設五十周年を迎えるに当たり、駅の開設に貢献された先覚者を称え、この記念碑を建立する。
 広漠たる松林や原野の中に大正十一年七月東北本線二枚橋信号所が設置され、地方開発の重要課題は駅への昇格を緊急とし、時の湯本村長高橋龍蔵氏と伊藤健一郎先生が主唱して高橋友乙氏、川村勇氏と諮り、駅勢圏近隣村長や有志と提携し、期成同盟会を組織して運動を展開した。 関係機関に陳情請願を重ねることを実に十余年、ついに宿願かない昇格が決定されるや用地、運動費の寄附、幹線道水路の整備奉仕作業等多くの人々の協賛によって昭和七年十一月二十日二枚橋駅が開設された。
 当駅は花巻市の北端、石鳥谷町南端に位置し地域の交通輸送に大なる恩恵を与えた。  昭和二十四年六月両市町による花巻市都市計画二枚橋土地区画整理事業が施行され、十有余年を経て完成をみた。 この間高橋友乙氏が事業遂行に地区民の協力を得て活躍した。
 今日駅の存在は西部に貨物輸送を主とする生産工場が並び更に広大な商工業団地が造成されて企業の進出が相次ぎ地方産業経済の振興をもたらす誘引となった。
 高速交通時代を迎えいよいよ各般の発展を期待すると同時に限りない文化の恵沢を享受するは一に駅の開設がその基因と銘すべきである。
 ここに先覚者諸氏の卓見とご功績に敬重の誠を捧げ擱筆する。
   昭和五十七年八月二十三日
    二枚橋駅開設五十周年記念協賛会
    二枚橋駅開設五十周年記念事業実行委員会

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