慰霊
 
碑の背景
コメント
 本州と北海道をつなぐ青函トンネルの構想は1940年代からあったが、1954年に発生した洞爺丸事故により計画が本格化し、1963年10月に北海道側で試掘調査準備工事がスタートした。 建設工事は両端および北海道側の吉岡斜坑、本州側の竜飛斜坑の4か所から行なわれ、異常出水など生田の障害を克服し、1983年には先進導坑が貫通、1985年には本坑が全通した。 1987年11月に青函トンネルが完成し、1988年3月13日から海峡線の運用が開始された。
 先進導坑が貫通した際の貫通点は計画地点と比較し、X方向に37.4cm、Y方向に52.5cm、高さ方向に19.6cmずれていた。 先進導坑の断面積は幅3.6m〜5m、高さ3.07m〜4.22mであり貫通点のずれは問題にならないレベルであった。
 20年強にわたる工事により亡くなられた方は34名であった。 この碑がある場所は、竜飛斜坑に設けられた青函トンネル記念館の横にある。

写  真
基本情報


所 在 地 : 外ヶ浜字三厩龍浜99
MapCode : 1045 012 121*80
建 立 日 : 1988年7月
建 立 者 : 青函トンネル工事関係者一同
種   別  : 慰霊碑
撮 影 日 : 2015年 7月 3日


碑  文  青函トンネルの完成により 本州と北海道は鉄路で直結され 多くの人々が待ち望んだ 安全で安定した交流が可能となった
 これが国土の一体化とひいては日本の発展に 大きく寄与することを祈念する
 ねがわくは この工事に英知と情熱をかたむけながら 青函トンネルの礎となられたかたがたの 永遠に安らかならんことを
  昭和六十三年七月   青函トンネル工事関係者一同

   青函トンネル工事略歴
1946年 4月  地質調査開始
1953年 8月  鉄道建設法予定線に追加(三厩・福島間)
1964年 3月  日本鉄道建設公団発足
           日本国有鉄道から調査業務を引き継ぐ
1964年 4月  基本計画(調査)の指示
1964年 5月  北海道側吉岡斜坑掘削開始(公団直轄)
1965年 8月  工事実施計画(調査)の認可
1966年 3月  本州側竜飛斜坑掘削開始(公団直轄)
1971年 4月  基本計画(工事)の指示
           新幹線設計の指示
1971年 9月  工事実施計画の認可
           今別町浜名・知内町湯の里間
1972年 3月  海底部の請負工事着手
1973年 1月  陸上部の請負工事着手
1978年10月  北海道側陸上部全貫通
1981年 7月  本州側陸上部全貫通
1983年 1月  先進導坑貫通
1985年 3月  海底部本坑全貫通
1986年 9月  レール締結完了
1987年 7月  架線接続完了
1988年 3月  竣功

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