洞爺丸海難者慰霊碑
  
碑の背景
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1954年(昭和29年)9月26日未明に九州南部に上陸した台風15号は15時には青森県の西100Kmに到来し、17時過ぎには津軽海峡にもっとも接近すると予想された。 当時、函館港内では8隻が居り、函館港外では9隻が投錨していた。 港外で投錨していた9隻の内2隻が座礁、5隻が沈没した。 沈没したのは全て、青函連絡船で北見丸、十勝丸、日高丸、洞爺丸、第十一正観丸の5隻であった。 この5隻が沈没したことによる犠牲者は1430名になったが、この内1155名が洞爺丸の乗客・乗員であった。
 この為、台風15号は後に洞爺丸台風と命名された。 洞爺丸台風によって沈没した洞爺丸等の慰霊碑が北斗市の七重浜と函館市の函館山入口に建立されている。
   
写  真
基本情報


所 在 地 : 青森市大字三内
            三内霊園内
MapCode : 99 518 845*61
建 立 日 : 1988年 7月13日
建 立 者 : 新藤扶瑳次
種   別  : 慰霊碑
撮 影 日 : 2015年 7月 3日

碑  文 (正面)  洞爺丸海難者慰霊碑
   昭和29年9月26日 台風15号
   青森県知事 北村正哉謹書
洞爺丸海難 資料:青函連絡船管理局 青函トンネル開業に当たり建立
死者 乗員 73名  売店其の他 41名 旅客(内青森県人) 1041名(240名)
生存者 旅客 110名 乗員 38名 其の他 11名

(左) 鎮魂
青函海底トンネル工事中の殉職者  公団職員 九名  一般企業職員 二十五名
衆議院議員 津島雄二 謹書   1988年青森市 新藤扶瑳次 建立

(右) 青函連絡船洞爺丸海難慰霊碑建立趣意書
 昭和二十九年九月二十六日台風十五号津軽海峡を吹き荒れる
 本州と北海道との唯一の交通機関の青函連絡船は、洞爺丸初め五隻が沈没千数百名の乗客が、親兄弟妻子の名を呼びつつ海底に・・・・
 犠牲者と肉親の悲しみを思うと断腸の想いです。 青函連絡鉄道管理局が函館市にあるため、函館市には、函館山入口と七重浜に慰霊碑あるも、当時の死亡者の内青森県人二四〇名、年移り日替り今海底に、青函トンネル竣工。 昭和六十三年三月開業、海底トンネル工事中関係殉職と併せて、津軽海峡の見える三内霊園に慰霊の碑を建てる。
昭和六十三年七月十三日建立  青森市新藤扶瑳次合掌
 

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