青函連絡船戦災の碑

碑の背景
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  第二次世界大戦末期の1945年7月14日〜15日、米軍艦載機による青函連絡船と函館ドックに対して空襲が行われた。 14日には青函連絡船12隻中11隻が空襲を受け、翌15日には唯一残っていた第1青函丸が空襲を受けた。 これにより津軽丸をはじめとする8隻が沈没、松前丸は炎上、第6青函丸は座礁・炎上し後に浮揚復航、第7青函丸は中破し航行不能、第8青函丸は擱坐し航行不能となった。  この空襲により青函航路は壊滅状態となった。
写  真

 
基本情報
 所  在  地 : 青森市柳川一丁目
 マップコード : 99 583 381*70
 建  立  日 : 2005年 7月12日
 建  立  者 : 
 種      別 : 其の他の碑
 撮  影  日 : 2015年 7月 3日
碑  文  青函連絡船は、青函トンネルの完成により廃止されましたが、八〇年の歴史の中で「戦災」の悲劇を忘れ去ることはできません。
 第二次世界大戦末期の一九四五年(昭和二〇年)七月一四日、米海軍艦載機の攻撃により物流の大動脈であった青函連絡船「翔鳳丸」 「飛鸞丸」「第二青函丸」「第六青函丸」が、八月一〇日には「亜庭丸」が青森湾で撃沈され一三一名の犠牲者を出しました。 この中は、函館船員養成所大沼分所の生徒一四名(当時一四・五歳)がおり悲しみを一層大きくしました。
 また七月十四・十五日に津軽海峡と函館湾でも攻撃を受け、青函連絡船は全滅をし、乗員乗客四二四名の尊い人命が失われました。
 今も、津軽海峡には「津軽丸」「第三青函丸」「第四青函丸」がこの航路に殉じた人々と共に、永久の眠りについています。
 青森市民の目前で繰り広げられた悲惨で残酷な空襲、戦災から六〇年を経ましたが、今では、当時の参状を止めるものはなく、人々の記憶からも薄れ、知らない世代が増え、風化されつつあります。
 青函連絡船戦災から六〇年目に当たり、この悲劇を歴史に止め、語り継ぐとともに犠牲となった方々のご冥福と平和を衷心より祈念し、この碑を建立いたしました。
      二〇〇五年 平成一七年七月十二日  六十年目の空襲・戦災の日


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