動輪碑
碑の背景
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この動輪は59690の第3動輪である。 この機関車は1922年に川崎造船所で製造された製造番号792の機関車である。 帯広機関区で1975年5月30日に廃車となったが、帯広への転属前は新得機関区に配属されて狩勝越えに活躍していた。 廃車後は解体待ちの為に一時期新得機関区に留置されていた。

写  真
基本情報


 所 在 地 : 新得町3条南4−26
          新得町役場前
 MapCode : 608596241*63
 建 立 日 : 1977年11月13日
 建 立 者 : 新得町
 種   別  : 動輪碑
 撮 影 日 : 2007年 6月22日


碑  文    蒸気機関車動輪の由来
詩人石川啄木は 明治四十一年一月二十一日の日記に「石狩 十勝の国境を越えて 五分間を要するトンネルを通ると 右の方一望幾百里 真に譬ふるに辞なき 大景である。」と認めてある。 明治四十年狩勝トンネルが開通し 千分のに十五のこう配で山間部を縫うような曲線をえがき 九百五十四メートルの長いトン ネルをあの勇壮な蒸気機関車が風雪 厳寒と闘い隧道内の噴煙に悩まされながら旅客貨物の輸送に大活躍 本町はもとより道東の発展に輝かしい業績を残してく れた。 風雪六十有余年人々から親しまれ頼られた蒸気機関車も昭和四十一年ディーゼル化されたことによりその姿を消したが 日夜数十両の列車を引いて狩勝 越えをしたあの雄姿は人々のまぶたに 心の底にいつまでも刻み込まれている。 当町にとってゆかりの深い蒸気機関車の一部動輪を今ここに展示し そのねぎらいをするものである。
     昭和五十二年十一月十三日建立   
                     新得町
  

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