瀬棚線鉄道工事殉職者
慰霊碑

    
碑の背景
コメント
 瀬棚線は1920年(大正9年)に敷設が決まり、1929年(昭和4年)から国縫側より逐次開業し、1932年(昭和7年)に国縫〜瀬棚間48Kmが開通した。 この線に工事には”タコ”が使われた。 ”タコ”は”タコ部屋”で使役された労働者のことで、労働者を前金でで数か月、身体的に拘束し、非人間的環境において過酷な肉体労働であった。
 今金町にある無住の瑠璃寺境内に「鉄道工事殉職者之碑」があるが、この碑には殉職者数や氏名は刻まれていない。 今金町の3名の教師により埋葬許可証が見つかり、氏名・出身地が明らかになった。 
 この碑の右側のある副碑の裏側にはタコ部屋における労働で亡くなった13名の名前が刻まれている。 13名の出身地は東北2名、関東2名、中部2名、関西5名、四国2名と多くが西日本であった。 
   
写  真
基本情報


 所 在 地 : 瀬棚郡今金町字美利河
 MapCode : 762 789 419*41
 建 立 日 : 1977年11月23日
 建 立 者 : 今金歴史を探る会
 種   別  : 慰霊碑
 撮 影 日 : 2012年 9月 2日


慰霊碑
右の副碑
碑文
昭和三年瀬棚線敷設工事の際タコ部屋組織の中で病没或いは事故死を遂げし人々十三体無縁として野に葬られしを今金歴史を探る会の人々の手によって発掘され本籍氏名を明らかにして今更めて茲に篤く葬り冥福を祈らんとするものなり
     昭和五十二年十一月二十三日
   今金町開基八十年並に瀬棚線開通五十年を記念して
       今金歴史を探る会建立

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