功績を讃えて
中村興三松氏

  
碑の背景
コメント
函館本線の倶知安と室蘭本線の伊達紋別を結ぶ胆振線はその前身を見ると、京極軽便線として1919年に開業した倶知安−京極間、胆振鉄道として1928年に開通した京極−喜茂別間、胆振縦貫鉄道として1940年に開通した伊達紋別−西喜茂別間に分けられる。 この碑の主である中村興三松氏は胆振鉄道、胆振縦貫鉄道による鉄道開通に尽力された。 この碑は胆振線の六郷駅跡に作られた六郷鉄道公園に建立されている。
  
写  真
基本情報


 所 在 地 : 倶知安町
          北4条東8〜9丁目
 MapCode : 385 842 239*25
 建 立 日 : 1988年 7月
 建 立 者 : 中村興三松
          記念碑建立期成会
 種   別  : 顕彰碑
 撮 影 日 : 2012年 9月 2日

碑  文  胆振線の生みの親中村興三松氏は明治十年七月石川県金石町 (現在の金沢市)に生をうけた。 海軍軍役を終えたあと志をたてて 北海道倶知安町に来住、六郷市街で農産商中村商店 を起こし、大倉庫、大邸宅を構えた豪商とうたわれた。
 大正八年 脇方鉱山の資源輸送のため敷設された国鉄支線 京極線一三・四粁の開通により明治末期からあった地域 住民の鉄道願望がよみがえった。 京極・喜茂別方面を商圏とし 人望の厚かった中村興三松氏は、大正十五年 衆望を担って 私鉄胆振鉄道株式会社を設立、私財を投げうって鉄道の敷設 会社運営に奔走、昭和三年十月京極・喜茂別間一○・八粁の 鉄道敷設を成し遂げた。
 昭和五年からは、喜茂別・伊達を結ぶ胆振縦貫鉄道実現に 没頭、その中核にあって活躍し、昭和十二年着工以来およそ 五年の歳月と血のにじむ努力を経て 昭和十六年十月十二日 同区間五九・二粁全線開通の悲願を果たした。
その後 胆振線は昭和十九年七月一日国有化となった。
 時は流れ、社会が変わり国鉄合理化のあらしの中で、昭和六十一年 十月三十一日中村興三松氏らが生み育てた胆振線は、京極線 開通以来六十七年、全線開通以来四十五年の歴史に終止符を うったが、ゆかりのこの地に六郷鉄道記念公園を建設するにあたり 半生を胆振線に捧げた氏の業績を讃えてこの碑を建立す
   昭和六十三年七月
     中村興三松記念碑建立期成会

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