北海道鉄道殉職碑
碑の背景
コメント
円山公園にこの碑が有ると言う事で、出かけたが公園は広く、何処にあるのかが判らなかった。 公園の管理事務所に立ち寄り場所を聞くと坂下球場の奥の方と言う事で再度、探しにいった。 坂下球場の裏手には幾つかの慰霊碑がみられたが、鉄道に文字が書かれいるものが無く、あきらめようかとも思ったが、さらに奥に行くとようやく見つける事が出来た。 
写  真
 
基本情報
 所  在  地 : 円山公園
 マップコード : 9 458 758*56
 建  立  日 : 1953年 7月
 建  立  者 : −−−
 種      別 : 慰霊碑
 撮  影  日 : 2012年 8月31日
碑  文  北海道の鉄道は開通以来70餘年にわたり鉄路すでに1100餘粁に及ぶ隆威をみているが、その間この経營に尊い生命をかけて礎となった殉職職員及び昭和の事変に外地に派遣されて散華した職員は實に2107人に及んでおる。 その功績は我国鉄道史に燦として永えに輝くであろう。 この殉職碑は初め大正2年10月北海道鉄道管理局長野村弥三郎外6氏の発起のもとに管内職員の醵金によって札幌東郊苗穂に苗穂に建立されたものであるが昭和の事変後頓に荒廃に帰した。 ここにおいて昭和27年秋鉄道80年記念事業の一として本道国有鉄道職員擧って醵金し、この地を相してこれを再建したのである。 想うに鉄道は国家の血脉であり国力発展の源流であるがその重責はかかってわれらの双肩にある。 今日、日本再建の途上に在って尊い先人の功績に想いを新たにすると共に永くこれを顕彰しこの霊を慰めようとするものである。
 希くば諸霊永えに鎮まり給わんことを
   昭和28年7月
  国有鉄道北海道総支配人  浅井政治
   この碑の再建以来12年を経て、本道国鉄殉職者は630柱を加えた。 殊に昭和29年9月26日の洞爺丸事故により多数が殉職し、本碑再建の発起人もまたその中に入っている。
 ここに追慕を新たにして道内有志がうやうやしくこれらの諸例を合祀する。
       昭和41年5月
       日本国有鉄道北海道支社長  横山時茂

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