機関区とゆかりの転車台
碑の背景
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 北海道鉄道は1904年10月15日に歌棄(現熱郛)〜小沢間を開業させ、函館から小樽まで全通させた。 この時に倶知安駅は開業した。 この区間を含む長万部〜小樽間は山線と呼ばれるように急勾配の峠に挑む区間が連続している。 倶知安は山線の中間にあり、機関車への石炭や水の供給等のために当初から機関庫が設けられていた。 
 機関区には蒸気機関車の向きを変える転車台が不可欠である。 函館本線が開業した頃の蒸気機関車は全長が15m程度であったが、牽引力を上げるためには大きなボイラーが必要となり、機関車の全長は徐々に長くなっていった。 旅客用蒸気機関車で最大のC62が山線に配置されたのは1957年(昭和32年)からである。 この機関車の全長は21.5mで、貨物用の主力機であるD51よりも約2m長くなっている。 この為、転車台も大きなサイズの機関車に対応させて大型化されている。 
  
写  真
基本情報


 所 在 地 : 倶知安町北三条西4丁目
 MapCode : 398 539 682*12
 建 立 日 : −−−
 建 立 者 : −−−
 種   別  : 設置碑
 撮 影 日 : 2012年 9月 2日


碑  文  函館本線倶知安駅は、明治37年に北鉄線主要駅として民営により開業した。 その後開通時の倶知安機関庫は小樽築港機関区倶知安支区を経て倶知安機関区と改称、最盛期には職員259名を擁し、函館、胆振、岩内各線の運行に重要な役割を果たした。
 昭和60年に倶知安機関支区になり、昭和61年の国鉄民営移管により廃止され、各施設は撤去されたが、唯一残されたこの転車台はC62型蒸気機関車が配置された昭和32年大型電動式に更新された当時のものである。

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