国鉄青函連絡船の航跡
碑の背景
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青森〜函館間を結ぶ青函連絡船は1908年3月7日に開設されたが、当初は連絡線が岸壁に接岸できず、函館側は1910年12月まで、青森側は1923年まではしけにより乗客を移乗させていた。 1914年12月になると艀にに貨車を乗せる航送が開始され、1924年に本格的な貨車航送が行われるようになった。  
1988年9月に青函トンネルが開業し青函航路が廃止されるまでの90年の歴史の中では多くの船舶が沈没した。その内容は碑文にもあるように、17隻が沈没し、多くの乗組員が亡くなっている。 

写  真


基本情報
 所  在  地 : 函館市青柳町
 マップコード : 86 010 595*25
 建  立  日 : 1998年 7月14日
 建  立  者 : 鉄道退職者の会
             函館地方連合会
 種      別 : 慰霊碑
 撮  影  日 : 2012年 9月 3日
碑  文          青函連絡船の航跡
● 一九○八年(明治四十一年)三月七日 航路開設 比羅夫・田村丸就航
● 一九二四年(大正十三年)五月  翔鳳丸客貨船として建造.貨車航送開始
● 一九四五年(昭和二十年)三月六日 第五青函丸青森港北防波堤西側に猛吹雪
      のため接触沈没 殉職者七十四名
● 一九四五年(昭和二十年)七月十四・十五日 翔鳳丸、飛鸞丸、津軽丸、松前丸、
      第一青函丸、第二青函丸、第三青函丸、第四青函丸、第六青函丸、第十青
      函丸、第二次大戦空爆により函館港、津軽海峡、青森港などで沈没
      殉職者 三六四名
● 一九四五年(昭和二十年)八月九日 亜庭丸 第二次大戦空爆により青森県
      茂浦港で沈没
● 一九五四年(昭和二十九年)九月二十六日 洞爺丸、北見丸、十勝丸、日高丸
      第十一青函丸、台風十五号により沈没 殉職者三七九名
● 一九八八年(昭和六十三年)三月十三日 青函トンネル開業により国鉄青函連絡船
     航路八十年の歴史を終えた。
星霜八十年、国鉄青函連絡船船員として光輝ある功績は津軽海峡とともに不滅であります。
霊の永遠のやすらぎをお祈りいたします。
 

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