国鉄青函連絡船の航跡
碑の背景
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1908年3月7日に最新鋭の蒸気タービン船比羅夫丸で青函連絡船の幕が開いた。 1914年には鉄道車両の艀を用いた貨車の航送が開始された。 1924年には自航形の鉄道車両渡船が就航し、1925年8月からは青森・函館間での貨車の航送が本格的にスタートした。 この後は下記の碑文にもある様に、第二次大戦などで多くの船が沈没した。 1954年の台風15号は洞爺丸台風と呼ばれ北海道を中心に多くの被害を出した。 この台風により、戦前からあった本州と北海道をトンネルで結ぶ構想が一気に具体化し、1988年3月13日に青函トンネル開通と共に青函連絡船は廃止となった。
  
写  真

 所 在 地 : 函館市青柳町
 MapCode : 86 010 595*25
 建 立 日 : 1998年 7月14日
 建 立 者 : 鉄道退職者の会
        函館地方連合会
 種   別  : 慰霊碑
 撮 影 日 : 2012年 9月 3日

碑 文 ●1908年(明治41年) 3月 7日 航路開設 比羅夫・田村丸就航
●1924年(大正13年) 5月  翔鳳丸 客貨船として建造 貨車航送開始
●1945年(昭和20年) 2月 7日 第九青函丸 浦賀ドック建造 函館港に廻送中
   千葉県勝浦沖で座礁沈没  殉職者13名
●1945年(昭和20年) 3月 6日 第5青函丸 青森港北防波堤西側に猛吹雪のため
   接触沈没 殉職者74名
●1945年(昭和20年)7月14・15日 翔鳳丸、飛鸞丸、津軽丸、松前丸、第一青函
   丸、第二青函丸、第三青函丸、第四青函丸、第六青函丸、第十青函丸 第二次大戦空爆
   により函館港、津軽海峡、青森港などで沈没 殉職者364名
●1945年(昭和20年) 8月 9日 亜庭丸 第二次大戦空爆により青森県茂浦港で沈没
●1954年(昭和29年) 9月26日 洞爺丸、北見丸、十勝丸、日高丸、第十一青函丸、
   台風十五号により沈没  殉職者379名
●1988年(昭和63年) 3月13日 青函トンネル開業により国鉄青函連絡船航路八十年
   の歴史を終えた。
星霜八十年、国鉄青函連絡船船員として光輝ある功績は津軽海峡とともに不滅であります。
霊の永遠の安らぎをお祈りします。

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