胆振縦貫鉄道株式会社跡
碑の背景
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伊達市山下町に本社を置く胆振縦貫鉄道は1940年12月、伊達紋別〜徳瞬瞥間35kmを開業させた。 翌1941年、京極〜喜茂別間11kmを営業していた胆振鉄道を買収するとともに、徳瞬瞥〜西喜茂別間を開業させ、伊達紋別〜京極間での営業を行った。 
1943年12月頃より昭和新山の火山活動が始まり、当初開業した区間の上長流〜壮瞥間の地盤隆起が起こり、度々、線路崩壊・保線・新線建設といった出来事が1945年9月の活動停止まで続いた。 
線路崩壊が繰り返されていた1944年7月、胆振縦貫鉄道は買収・国有化され、それまで倶知安〜京極間で運営されていた京極線と一体化され胆振線として伊達紋別〜倶知安間の路線となり、胆振縦貫鉄道株式会社は消滅した。
1984年、第2次特定地方交通線として廃止承認された胆振線は、1986年11月に廃止となった。

写  真
基本情報


 所 在 地 : 伊達市山下町
 MapCode : 321 193 092*72
 建 立 日 : −−−
 建 立 者 : −−−
 種   別  : 跡地碑
 撮 影 日 : 2012年 9月 4日



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